昭和45年は西暦1970年!2026年の年齢や歴史的事件・生活を徹底解剖
昭和45年は、西暦に直すと1970年であり、干支は戌(いぬ)年にあたります。アジア初となる日本万国博覧会(大阪万博)が開催され、高度経済成長がまさにピークを迎えた記念碑的な1年でした。街にはマイカーがあふれ、ファストフードや歩行者天国といった新たな都市文化が花開く一方、社会を揺るがす重大事件も立て続けに発生しました。
本稿では、2026年を迎えた現在における昭和45年生まれの方の正確な年齢や厄年・履歴書用の学歴早見表をはじめ、当時の物価・生活水準、社会を大きく変えた出来事の真相まで、客観的データと一次資料をもとに分かりやすく解説します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:昭和45年は西暦1970年(干支:庚戌・かのえいぬ)で、2026年の誕生日で満56歳(誕生日前は55歳)を迎えます。
- 要点2:大阪万博(EXPO'70)の熱狂に沸く一方、よど号ハイジャック事件や三島由紀夫事件など戦後史の転換点が集中した激動の年です。
- 要点3:大卒初任給は約4万円、ラーメン1杯100円前後だった時代から、現代の消費社会や都市生活の原型がこの年に確立されました。
【2026年最新】昭和45年の西暦・干支・現在の年齢早見表と履歴書年号一覧
公的手続きや履歴書の作成、親族のお祝い事などで「昭和45年は西暦何年か」「今年で何歳になるのか」を再確認する機会は少なくありません。昭和45年は西暦1970年、十干十二支では庚戌(かのえいぬ/こうじゅつ)となります。
2026年の暦における昭和45年生まれの方の年齢は、誕生日を迎えている場合は満56歳、誕生日を迎えていない場合は満55歳です。人生100年時代の中盤において、キャリアの円熟期やセカンドライフの設計を見据える重要な節目を迎えています。
昭和45年(1970年)生まれの履歴書用・学歴早見表
各種申請や転職活動の履歴書作成に役立つ、ストレート進学時の入学・卒業年度の一覧です。
- 小学校入学:昭和52年(1977年)4月 / 卒業:昭和58年(1983年)3月
- 中学校入学:昭和58年(1983年)4月 / 卒業:昭和61年(1986年)3月
- 高校入学:昭和61年(1986年)4月 / 卒業:平成元年(1989年)3月(※昭和64年1月7日に改元)
- 短大・専門学校卒業:平成3年(1991年)3月
- 4年制大学卒業:平成5年(1993年)3月
昭和45年生まれの厄年一覧(数え年基準)
神社仏閣の一般的な数え年(生まれた年を1歳とし、元日で1歳加算)による厄年の対応表です。昭和45年生まれの男性における人生最大の大厄(数え42歳)は2011年に終了していますが、健康面や生活環境の変わり目として意識される年齢帯です。
- 男性の本厄:数え25歳(1994年=平成6年)、数え42歳・大厄(2011年=平成23年)、数え61歳(2030年=令和12年)
- 女性の本厄:数え19歳(1988年=昭和63年)、数え33歳・大厄(2002年=平成14年)、数え37歳(2006年=平成18年)、数え61歳(2030年=令和12年)

昭和45年(1970年)の物価と暮らし|現代との比較データで見る生活の激変
昭和45年は、日本が高度経済成長の爛熟期を迎え、いわゆる「新三種の神器(3C:カラーテレビ、クーラー、カー)」が一般家庭に急速に普及した時期です。大量生産・大量消費のライフスタイルが定着し、日本人の生活様式が根本から近代化へと舵を切りました。
当時の物価水準を総務省統計局の消費者物価指数や当時の公表資料から紐解き、2026年現在の相場と比較検証したデータが以下の通りです。
| 項目 | 昭和45年(1970年)の数値 | 2026年現在の一般的な基準・相場 | 編集部の見解・分析 |
|---|---|---|---|
| 大卒初任給(公務員・民間平均) | 約39,800円〜40,900円 | 約230,000円〜240,000円 | 給与水準は約5.8倍に上昇。当時は毎年10%前後の大幅昇給が当たり前だった時代。 |
| ラーメン(中華そば1杯) | 約90円〜100円 | 約850円〜1,000円 | 庶民の味としてワンコイン(100円玉1枚)で食べられた代表格。現在はおよそ9〜10倍。 |
| 郵便ハガキ(1通) | 7円 | 85円(郵便料金改定後水準) | 郵便料金は約12倍に。当時は手紙や年賀状が個人の主要な遠隔コミュニケーション手段。 |
| 国鉄(現JR)初乗り運賃 | 30円 | 150円〜160円(IC運賃含む) | 公共交通の運賃は約5倍の上昇。インフラ拡張と高度成長を支える大動脈として機能。 |
| 大衆乗用車(カローラ等) | 約45万円〜55万円 | 約220万円〜300万円(安全装備標準化) | 当時の年収に近い価格設定。マイカーを所有することが中流階級の最大のステータスシンボル。 |
昭和45年11月には、愛知県名古屋市に日本ケンタッキー・フライド・チキン第1号店(名西店)がオープン。銀座の歩行者天国がスタートしたのもこの年の8月であり、アメリカ型の外食産業や週末の都市型レジャーが日本に本格上陸した転換点でもありました。
日本中が熱狂した大阪万博と激動の事件年表|光と影の1970年を検証
昭和45年を語る上で欠かせないのが、3月15日から9月13日までの183日間にわたって大阪・千里丘陵で開催された日本万国博覧会(大阪万博 / EXPO'70)です。「人類の進歩と調和」をテーマに掲げたこの国家的メガイベントは、総入場者数6,421万8,770人を記録し、当時の日本総人口(約1億400万人)の過半数に匹敵する大熱狂を生み出しました。
岡本太郎がデザインした「太陽の塔」、アメリカ館に展示された「月の石」、動く歩道やワイヤレステレホン、モノレールなど、万博会場で提示された数々の未来技術は、戦後復興を遂げた日本が先進国の仲間入りを果たしたことを世界へ強烈に印象付けました。
昭和45年(1970年)主な出来事年表
- 3月14日:日本万国博覧会の開会式が挙行(翌15日一般公開開始)。
- 3月31日:よど号ハイジャック事件が発生。赤軍派の学生9名が羽田発福岡行きの日本航空機を乗っ取り、最終的に北朝鮮へ逃亡。日本初の航空機ハイジャック事件として全国に衝撃を与える。
- 4月8日:大阪市営地下鉄谷町線延伸工事現場で天六ガス爆発事故が発生(死者79名)。
- 8月2日:東京都内(銀座、新宿、池袋、浅草)で初の本格的な歩行者天国を実施。
- 10月1日:国勢調査が実施され、日本の総人口が1億372万人と1億人を正式突破。
- 11月25日:三島由紀夫事件(楯の会事件)。作家の三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地(東部方面総監部)に乱入し、憲法改正のための決起を呼びかけた後に割腹自決。
昭和史の深層:よど号事件と三島由紀夫自決が残した問い
当時の報道記録や関係者の手記によると、昭和45年は「万博による輝かしい未来への陶酔」と「過激化する学生運動・戦後民主主義への強烈な異議申し立て」という極端なコントラストが交錯した年でした。
特に三島由紀夫の自決は、高度経済成長による物質的繁栄の陰で日本人が精神的な拠り所や伝統的アイデンティティを喪失しつつあることに対する、極限の警告劇でもありました。国内外の言論界に与えた衝撃は計り知れず、昭和という時代の精神的陰影を象徴する出来事として現在も議論が続けられています。

【実態検証】昭和45年のヒット曲・流行とカルチャーが生んだ熱気
エンターテインメントや生活文化の領域でも、昭和45年はエポックメイキングなトレンドが次々と開花しました。高度成長の波に乗った活気あふれるヒットチャートとカルチャーの数々は、現代のポップカルチャーの源流となっています。
昭和45年を彩った年間ヒット曲ランキング
日本レコード大賞をはじめとする当時の音楽シーンは、歌謡曲、演歌、フォーク、ポップスが入り乱れる黄金期でした。
- 「黒ネコのタンゴ」皆川おさむ:前年末からの勢いそのままにミリオンセラーを記録し、子どもから大人まで社会現象に。
- 「ドリフのズンドコ節」ザ・ドリフターズ:国民的人気バラエティ番組『8時だョ!全員集合』の絶頂期を象徴するメガヒット。
- 「手紙」由紀さおり:洗練されたメロディと圧倒的な歌唱力で大ヒットを記録。
- 「今日でお別れ」菅原洋一:第12回日本レコード大賞を受賞。大人の哀愁漂うムード歌謡の金字塔。
- 「世界の国からこんにちは」三波春夫:大阪万博のテーマソングとして全国津々浦々で鳴り響き、時代のアンセムに。
当時の流行・社会現象
ファッション界では、それまでのミニスカート旋風に対する反動として、足首まで覆うマキシスカート(マキシ丈)やパンタロンが大流行。国鉄(現JR)が個人旅行を促すために展開した一大キャンペーン「ディスカバー・ジャパン(美しい日本と私)」がスタートしたのも昭和45年10月です。
玩具業界では、株式会社トミー(現タカラトミー)が国産車の精巧なミニカーシリーズ「トミカ」を発売(当初6車種)。男の子を中心に爆発的な人気を博し、半世紀以上続く超ロングセラーブランドとなりました。
昭和45年(1970年)生まれの主な有名人・著名人
各界の第一線で活躍し続ける昭和45年生まれの表現者・リーダーたちです。
- 音楽・アーティスト:桜井和寿(Mr.Children)、西川貴教(T.M.Revolution)、工藤静香、相川七瀬
- 俳優・タレント:吉岡秀隆、阿部サダヲ、永作博美、中山美穂、天野ひろゆき(キャイ〜ン)、パックン(パトリック・ハーラン)
- スポーツ・文化人:伊達公子(テニス)、八木沼純子(フィギュアスケート)、宮工(映画監督・クリエイター陣)
一般に知られていない盲点とネットの誤解|「万博狂騒曲」の裏にあった光と影
昭和45年を振り返る際、ネット上の言説や回顧録では「誰もが右肩上がりの未来を信じて幸福に満ちていた黄金時代」として美化されがちです。しかし、当時の新聞縮刷版や自治体の公害白書を精査すると、急速な工業化と都市集中が深刻な社会歪みを生み出していた現実が浮き彫りになります。
昭和45年7月18日、東京都杉並区の立正高校で生徒らが呼吸困難や目の痛みを訴え、日本で初めて「光化学スモッグ」の被害が公式確認されました。四日市ぜんそくや水俣病などの公害問題が全国で激甚化し、同年11月には「公害国会」と呼ばれる第64回臨時国会が召集され、公害対策基本法の改正を含む公害関係14法案が一挙に成立しました。
単なる「懐かしき良き昭和」という一面的なイメージにとらわれず、物質的豊かさを急速に手に入れた代償として、環境破壊や過密問題といった現代に直結する課題と正面から対峙し始めた年であったという文脈を正しく把握することが重要です。
【プロの結論】高度経済成長の頂点から学ぶ現代社会への教訓
社会学および産業心理学の観点から昭和45年を分析すると、この年は「国家主導の画一的成長モデル」から「個人の消費とアイデンティティの探求」へと価値観がシフトした境界線と位置づけられます。
万博に象徴される技術革新への熱狂と、三島事件や公害問題が突きつけた構造的矛盾。この両極端な出来事は、組織や国家への盲目的な依存から脱却し、環境との共生や個人の精神的自立をいかに確立するかという、2026年を生きる私たちにとっても未解決の普遍的なテーマを提示しています。過去の歴史を振り返ることは、単なるノスタルジーではなく、複雑化する現代の生き方を再設計するための貴重な羅針盤となります。

【昭和 45 年】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:昭和45年生まれは2026年(令和8年)で何歳になりますか?
A1:2026年の誕生日を迎えると満56歳になります。まだ誕生日を迎えていない場合は満55歳です。
Q2:昭和45年の干支と、その生まれの人の性格的な特徴は?
A2:昭和45年の干支は戌(いぬ)年、十干十二支では庚戌(かのえいぬ)です。一般的に戌年生まれは忠実で責任感が強く、誠実に対人関係を築く堅実派が多いとされています。
Q3:昭和45年生まれの高校・大学の卒業年度は西暦・和暦でいつですか?
A3:浪人・留年がないストレート進学の場合、高校卒業は平成元年(1989年)3月、4年制大学の卒業は平成5年(1993年)3月となります。ちょうどバブル経済の崩壊期と就職氷河期の入り口に重なる世代です。
Q4:昭和45年の大阪万博と2025年大阪・関西万博の違いは何ですか?
A4:昭和45年の大阪万博(EXPO'70)は「人類の進歩と調和」を掲げ、工業化と未来技術の誇示が主目的でした。一方、2025年大阪・関西万博は「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマとし、SDGsやバイオテクノロジー、共生社会の実現に主眼が置かれました。
まとめ:激動の昭和45年が残した軌跡とこれからの歩み
昭和45年(1970年)は、大阪万博の輝かしい熱気と、時代を揺るがした大事件の緊迫感が交差した、日本の戦後史における最大のメルクマールでした。大卒初任給4万円時代から始まった当時の生活革命は、現在のコンビニ、ファストフード、歩行者天国、自動車社会の基盤を作り上げました。
2026年に56歳を迎える昭和45年生まれの世代は、昭和の熱狂、平成の激動、そして令和の変革期を柔軟に生き抜いてきた中核的存在です。激動の時代背景を正しく理解し、培ってきた経験をこれからの実りあるライフステージへ活かしていきましょう。 (出典: 昭和 45 年(Yahoo!ニュース))