森且行のSMAP時代と脱退の真相!6人の絆とオート転身・奇跡の軌跡
国民的アイドルグループとして日本のエンターテインメント界の頂点に君臨したSMAP。その黎明期からブレイク期にかけて、グループの中心メンバーとして絶大な存在感を放っていたのが森且行です。1996年5月、人気絶頂の中で突如発表された彼の脱退とオートレースへの転身は、日本中に大きな衝撃を与えました。
芸能界のトップアイドルから、命懸けの勝負師であるオートレーサーへの電撃転身。そして2020年の悲願の日本選手権制覇や、選手生命を脅かす大怪我からの不屈の復帰劇に至るまで、森且行とSMAPの5人が紡いできた物語は、時を経てもなお多くの人々の心を揺さぶり続けています。6人時代の栄光と、知られざる脱退の真相、そして今なお色褪せないメンバーとの熱い絆を紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:森且行はSMAP 6人時代のツートップの一角であり、木村拓哉と並ぶ抜群の歌唱力とビジュアルでグループの急成長を牽引した。
- 要点2:脱退理由は幼少期からの夢であったオートレーサーへの挑戦であり、養成所入所の年齢制限(23歳未満)というタイムリミットが引き金となった。
- 要点3:脱退後も中居正広、木村拓哉、新しい地図のメンバーとの絆は途切れることなく、大怪我からの復帰や各々の活動を讃え合う関係が続いている。
【SMAP 6人時代の輝き】森且行の立ち位置と圧倒的な歌唱力・メンバーカラー
1988年の結成から1996年5月までの約8年間、SMAPは6人体制で活動していました。当時のグループ内において、森且行の立ち位置はまさに「エース級の主力」でした。170cm台後半のスラリとした抜群のスタイルと甘いマスク、そして何よりも安定した歌唱力でファンを魅了し、木村拓哉とともにボーカルの主軸を務めていました。
当時の楽曲を振り返ると、『$10』『君色思い』『がんばりましょう』『どんないいこと』など、SMAPの黄金期を切り拓いた歴代ヒット曲において、森且行は木村拓哉と並んでサビやソロパートを数多く担当しています。伸びやかで透明感のあるハイトーンボイスは、初期SMAPサウンドの象徴でもありました。また、料理やダンス、コントにも全力で挑む多才ぶりで、グループのバラエティ進出を支えた立役者の一人です。
なお、SMAP 6人時代のメンバーカラーについて、公式な割り振りが完全に定着する前の初期は、森且行のイメージカラーは「白」とされることが多く、テレビ番組の企画や衣装によって「青」や「ピンク」を着用することもありました。後に5人体制となった際、森且行のメンバーカラーであった「白」は、グループにとって特別な意味を持つカラーとしてファンの胸に刻まれ続けることになります。
【電撃脱退の真相】オートレース転身の経緯と脱退会見で見せた涙の理由
1996年5月、SMAPが初の冠番組『SMAP×SMAP』をスタートさせ、まさに名実ともに国民的スターへと駆け上がっていた最中、森且行の電撃脱退が発表されました。
世間では様々な憶測が飛び交いましたが、森且行の脱退理由の真相は、幼い頃から抱き続けていた「オートレースの選手になる」という強い夢の実現でした。オートレースの選手養成所に入所するための年齢制限は当時「23歳未満」。当時22歳だった森且行にとって、第25期選手候補生公募は人生で最後の挑戦のチャンスだったのです。アイドルとしての華やかな成功を捨ててでも、命懸けの勝負の世界へ飛び込む道を選びました。
1996年5月に開かれた脱退記者会見には、リーダーの中居正広も同席しました。事務所側が会見を渋る中、中居正広が「森の門出をうやむやに終わらせてはいけない」と自ら直談判し、私服のスーツを着て森且行の隣に座ったエピソードは有名です。会見中、森且行が時折見せた涙の理由は、夢を追う決意の重さと同時に、苦楽を共にしてきたメンバーやファンに対する言葉にできない感謝と申し訳なさによるものでした。
【伝説のスマスマ最後の出演】涙の『BEST FRIEND』と6人が交わした約束
森且行のSMAPとしての最後のテレビ出演となったのは、1996年5月27日放送の『SMAP×SMAP』でした。この日のエンディングで行われた「森且行 卒業スペシャル」は、日本のテレビ史に残る名場面として語り継がれています。
メンバーそれぞれが森且行へ向けた手紙や惜別の言葉を述べる中、全員で披露された楽曲が『BEST FRIEND』でした。歌唱中、リーダーの中居正広は涙が止まらず歌えなくなり、木村拓哉、稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾も瞳を潤ませながら森且行の背中を押しました。森且行自身も涙を流しながら、メンバー一人ひとりと熱い抱擁を交わしました。
「お互いにそれぞれの道で日本一になろう」。この日、6人が心の中で交わした固い約束は、その後のメンバーそれぞれのキャリアを支える原動力となっていきます。
【中居・木村との特別な絆】リーダーの支えとエース同士のリスペクト
森且行とメンバーとの間には、脱退後も決して切れることのない深い絆が存在していました。とりわけ、年長組である中居正広、木村拓哉との関係性は象徴的です。
中居正広とは、Jr.時代からバイクの話やプライベートの悩みを共有する無二の親友関係にありました。脱退後、メディアにおいて森且行の過去映像が使用できない時期が長く続いた際も、中居正広は自身のラジオやバラエティ番組で度々「森」の名前を口にし、彼の存在を決して風化させないよう配慮し続けました。
一方、木村拓哉とは、グループの歌とビジュアルを最前線で支えた「ダブルエース」としての強い信頼関係がありました。お互いをプロとして認め合っていたからこそ、木村拓哉は森且行の決断を誰よりも尊重しました。後年、木村拓哉がメディアで森且行について言及する際にも、自らの選んだ道でトップを走り続ける戦友に対する深い敬意が常に滲み出ています。
【日本選手権優勝と新しい地図との共演】交錯する夢と大怪我からの不屈の復帰劇
オートレーサーとしてデビューした森且行は、厳しい勝負の世界で着実に実績を積み重ね、最高峰の「S級」選手へと上り詰めました。2017年11月には、AbemaTVの特別番組『72時間ホンネテレビ』にて、稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾による「新しい地図」と21年ぶりの感動的なメディア共演を果たし、浜松オートレース場での再会は列島を感動の渦に巻き込みました。
そして2020年11月、森且行はついにSG第52回日本選手権オートレースで初優勝を飾り、悲願の日本一を達成。SMAP脱退時に交わした「日本一になる」という約束を24年越しに果たした瞬間でした。この快挙に、中居正広、木村拓哉、そして新しい地図の3人は、それぞれ公式コメントやSNSを通じて心からの祝福メッセージを送り、日本中が「6人の絆」に胸を熱くしました。
しかし、栄光の直後である2021年1月、レース中の落車事故により骨盤骨折など命に関わる重傷を負うという過酷な試練が訪れます。5回以上におよぶ大手術と過酷なリハビリを乗り越え、森且行は2023年4月に驚異的な復帰を果たしました。不屈の闘志で走り続けるその姿は、今もなお多くの人々に勇気を与え続けています。
【森且行のSMAP時代】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:森且行さんの当時のメンバーカラーは何色でしたか?
A1:初期のSMAPでは公式カラーが流動的でしたが、森且行さんは主に「白」を担当していました。バラエティ番組等では青などを着用することもありましたが、ファンの間では「白」が森且行さんの象徴的なカラーとして定着しています。
Q2:SMAP脱退の際、メンバーとの不仲が原因だったのでしょうか?
A2:不仲説は事実無根です。脱退理由は幼少期からの夢であったオートレース選手への挑戦であり、養成所入所の年齢制限(23歳未満)を迎えるためでした。中居正広さんが脱退会見に同席したことや、スマスマ最終出演時のメンバーの涙からも、固い絆で結ばれていたことが分かります。
Q3:オートレース転身後、テレビで過去のSMAP映像から森且行さんがカットされていたのはなぜですか?
A3:芸能界を引退して一般の公営競技選手(プロアスリート)となったことによる肖像権の権利処理や、当時の芸能界の慣習による影響です。現在は権利関係や環境の変化に伴い、テレビやドキュメンタリー番組でも当時の森且行さんの映像やエピソードが自然に放送されるようになっています。
【まとめ】時を超えて輝き続ける「6人のSMAP」という物語
森且行がSMAPとして駆け抜けた8年間は、グループが国民的スターへと進化するための強固な土台を築いたかけがえのない時代でした。歌唱力とビジュアルを兼ね備えたエースとしての活躍は、初期SMAPの楽曲の中に今も色褪せることなく息づいています。
アイドル界と公営競技界という全く異なるフィールドへ分かれながらも、交わした約束を胸にそれぞれのトップを極めた6人。互いの挑戦を認め合い、苦難のときにはエールを送り合うその関係性は、グループという枠組みを超えた「生涯の仲間」の姿そのものです。オートレーサーとして走り続ける森且行と、それぞれのステージで輝きを放つメンバーたちの軌跡は、これからも多くの人々に希望を与え続けます。 (出典: 森 且行 smap 時代(Yahoo!ニュース))