なぜ「ドはドーナツ」なのか?ペギー葉山『ドレミの歌』誕生秘話と真実

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なぜ「ドはドーナツ」なのか?ペギー葉山『ドレミの歌』誕生秘話と真実
なぜ「ドはドーナツ」なのか?ペギー葉山『ドレミの歌』誕生秘話と真実
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🎵 なぜ「ドはドーナツ」なのか?ペギー葉山『ドレミの歌』誕生秘話と真実

世代を超えて誰もが口ずさめる国民的童謡『ドレミの歌』。学校の音楽の授業や合唱コンクール、幼少期の手遊び歌として親しまれ、2026年の現在も子どもから大人まで深く愛され続けています。この曲を日本全国へと広めた立役者こそ、昭和を代表する歌手のペギー葉山さんです。

ミュージカル映画の名作『サウンド・オブ・ミュージック』の劇中歌として世界中で知られる名曲ですが、私たちが慣れ親しんでいる日本語歌詞は、ペギー葉山さん自身が手掛けた訳詞です。親しみやすいフレーズの代表格である「ドはドーナツのド」は、一体どのような経緯で誕生したのでしょうか。その裏には、子どもたちへの深い愛情と、翻訳の壁に挑んだ驚きのエピソードが秘められていました。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
  • 要点1:「ドはドーナツ」の着想は、作詞に行き詰まったペギー葉山さんが日比谷の劇場の喫茶室で注文したおやつがきっかけだった。
  • 要点2:英語の原曲(Doe=雌鹿)を直訳せず、日本の子どもたちが日常でワクワクする言葉へ大胆にローカライズしたことで歴史的名作となった。
  • 要点3:1962年の『NHKみんなのうた』放送を機に爆発的ヒットを記録し、教科書掲載とともに昭和・平成・令和の時代を超えて歌い継がれている。

【誕生秘話】なぜ「ドはドーナツ」なのか?喫茶室で閃いた奇跡のフレーズ

『ドレミの歌』の日本語詞といえば、冒頭の「ドはドーナツのド」があまりにも有名です。しかし、なぜ最初の音階にドーナツという洋菓子が選ばれたのか、その理由を知る人は多くありません。

1960年、本場ニューヨークのブロードウェイで舞台『サウンド・オブ・ミュージック』を鑑賞したペギー葉山さんは、劇中で歌われる『Do-Re-Mi』の陽気なメロディと教育的な構成に心を奪われました。「この素晴らしい歌を、日本の子どもたちにも届けたい」と強く願った彼女は、自ら日本語の訳詞を手掛ける権利を取り付けます。

日本に戻り、日比谷の日生劇場近くの喫茶室で作詞作業に取り掛かったものの、音階の「ド」から始まる言葉がなかなか浮かびませんでした。当時の日本の童謡にはないリズム感と音階の組み合わせに頭を抱え、煮詰まっていたペギー葉山さんは、気分転換に紅茶とドーナツを注文します。運ばれてきた丸いドーナツを見た瞬間、「ドはドーナツのドだ!」と電撃的なひらめきが走ったといいます。

子どもたちが大好きな甘いお菓子のイメージは、歌い始めのワクワク感を演出するのにまさに完璧でした。机上の理屈ではなく、日常のふとした瞬間に生まれた直感が、日本音楽史に残るキラーフレーズを生み出したのです。

【原曲との決定的な違い】ブロードウェイの英語詞から日本独自の童謡へ

ペギー葉山さんの訳詞の真骨頂は、原曲の英語詞をそのまま翻訳するのではなく、日本人の言語感覚と子どもの情操に合わせた大胆な翻案を行った点にあります。

原曲の『Do-Re-Mi』(作詞:オスカー・ハマースタイン2世)は、英語の音階(Doe, Ray, Me, Far, Sew, La, Tea)と同音異義語を巧みに掛け合わせた言葉遊びで構成されています。

原曲の各フレーズの意味を比較すると、その違いは一目瞭然です。

【英語原曲とペギー葉山版の対比】
Do(ド):原曲「Doe(雌の鹿)」 ➡ 日本語「ドーナツ」
Re(レ):原曲「Ray(太陽の光線)」 ➡ 日本語「レモン」
Mi(ミ):原曲「Me(私自身)」 ➡ 日本語「みんな」
Fa(ファ):原曲「Far(はるかな遠い道)」 ➡ 日本語「ファイト」
Sol(ソ):原曲「Sew(針と糸で縫う)」 ➡ 日本語「あおいそら(青い空)」
La(ラ):原曲「La(ソに続く音階のラ)」 ➡ 日本語「ラッパ」
Ti(シ):原曲「Tea(ジャムとパンに合う紅茶)」 ➡ 日本語「しあわせ(幸せ)」

英語圏の子どもにとって「Doe」や「Ray」は自然な単語でも、日本の子どもたちに「ドは雌鹿のド」と歌わせても情景は浮かんできません。視覚的においしそうな「レモン」、楽しげな楽器の「ラッパ」、見上げれば広がる「青い空」など、子どもたちが五感でイメージできる言葉へと見事に置き換えられています。

「ファはファイト」「シはしあわせ」に込められたペギー葉山の祈り

訳詞を進める中で、ペギー葉山さんが最も頭を悩ませたのが「ファ」と「シ」の言葉選びでした。

日本語において「ファ」から始まる名詞は極めて少なく、思いつくのは外来語ばかりでした。そこで彼女が選んだ言葉が「ファイト」です。戦後の復興期を経て高度経済成長へと向かう時代背景の中、「子どもたちに元気にたくましく育ってほしい」「くじけずに立ち上がる勇気を持ってほしい」という応援歌としてのメッセージを、この一言に託しました。

音階の締めくくりとなる「シ」には、「しあわせ(幸せ)」という言葉を当てはめています。原曲ではお茶(Tea)で締めくくられるところを、「みんなで声を合わせて歌えば、幸せな気持ちになれる」という歌本来の喜びへと昇華させました。

単なる音の当てはめにとどまらず、教育的で温かい祈りが込められていたからこそ、半世紀以上が経過した現在も色褪せることなく共感を呼び続けています。

『NHKみんなのうた』が契機!昭和の名曲から教科書の定番へ

完成した日本語版『ドレミの歌』が一躍全国区となった決定打は、1962年6月に放送された『NHKみんなのうた』でした。ペギー葉山さんと音羽ゆりかご会による軽快な歌声と、親しみやすいアニメーション映像がお茶の間の心を掴み、放送直後からNHKにリクエストや楽譜の問い合わせが殺到しました。

その反響はレコードのヒットにとどまらず、音楽教育の現場へと波及します。全国の小学校の音楽教科書に掲載され、音楽の初歩である音階の学習導入教材として公式に採用されることとなりました。

現在でも、日本の学校教育で音楽を学んだ人であれば、ほぼ100%に近い確率でペギー葉山さんの訳詞を歌った経験を持っています。一つの流行歌が、世代をつなぐ共通言語のような国民的唱歌へと定着した稀有な事例です。

ペギー葉山の輝かしい経歴と日本語歌詞にまつわる著作権

『ドレミの歌』の生みの親であるペギー葉山さんは、1950年代からジャズシンガーとして頭角を現し、日本のポピュラー音楽界を牽引した名歌手です。1959年の大ヒット曲『南国土佐を後にして』や、青山学院大学の情景を歌った『学生時代』など、昭和歌謡史に燦然と輝く代表曲を数多く残しました。後年には女性初の日本歌手協会会長を務めるなど、音楽文化の振興にも大きく貢献しています。

訳詞者としての功績も極めて大きく、日本音楽著作権協会(JASRAC)における『ドレミの歌』の日本語詞の著作権はペギー葉山さんに帰属しています。海外の原曲を日本の文化土壌に根付かせたクリエイターとしての正当な評価であり、現在も国内外で演奏・出版される際には彼女のクレジットが明記されています。

2017年に惜しまれつつこの世を去ったペギー葉山さんですが、彼女が紡ぎ出した言葉の数々は、今なお合唱団や学校の教室で力強く息づいています。

【ペギー葉山とドレミの歌】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:『ドレミの歌』の日本語歌詞を作ったのは誰ですか?
A1:歌手のペギー葉山さんです。1960年にブロードウェイでミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』を観劇した彼女が感銘を受け、自ら日本語の訳詞を手掛けました。

Q2:なぜ「ドはドーナツ」になったのですか?
A2:作詞中に行き詰まっていたペギー葉山さんが、喫茶室で注文したおやつのドーナツを見て「子どもたちが大好きな丸いお菓子がぴったりだ」と直感したことがきっかけです。

Q3:英語の原曲では「ド」は何と歌われていますか?
A3:英語の原曲では「Doe, a deer, a female deer(ドは雌の鹿)」と歌われています。音階の「Do」と英語で雌鹿を意味する「Doe」の発音を掛け合わせた言葉遊びになっています。

Q4:日本語の歌詞に著作権はありますか?
A4:はい、あります。ペギー葉山さんが日本語詞の著作者としてJASRAC等に登録されており、正式な訳詞として保護されています。

時代を超えて響く歌声|言葉に宿るペギー葉山の魂

日比谷の喫茶室で生まれた「ドはドーナツのド」というフレーズは、誕生から60年以上が経過した今も、日本中の子どもたちの笑顔を引き出し続けています。もしペギー葉山さんが英語の原詩を直訳していたら、これほどまでに親しまれることはなかったでしょう。

子どもたちと同じ目線に立ち、言葉の響きや楽しさを徹底的に追求した彼女の情熱こそが、海外のミュージカルナンバーを日本の永遠のスタンダードへと変貌させました。元気を出したいときの「ファイトのファ」、日々の平穏を願う「しあわせのシ」。音符の一つひとつに込められた温かなメッセージは、これからも世代を超えて歌い継がれていきます。 (出典: ペギー葉山 ドレミ の 歌(Yahoo!ニュース)

ペギー葉山 ドレミ の 歌
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